ユーフラテス河  ’05 8月末
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再び機上の人なった。まず、イスタンブールに飛んだ。

今回の旅は地中海沿岸をトルコからシリア、レバノンまでバスで行った。。

帰国時は何日かイスタンブールに滞在予定なので到着翌朝、地下鉄でオトガル(バス停)へ出かけチャナッカル行きのバスに乗り込む。

ヨーロッパ大陸の端をひたすらアジア側との間にあるマルマラ海沿いを走る。

あちこちにリゾート、セカンドハウス?が点在していた。地中海岸端に着くとフエリーでアジア大陸へ、そこはもうチャナッカル。
ローマ遺跡
翌朝トロイ遺跡へ。紀元前3000年からの人の住処、まだまだ発掘は20%程度しか進んでいないとか。
チャナッカルは余りにも観光化されているので午後にはセルチュークへ。翌朝歩いてエフエス遺跡。


このトルコ地中海岸沿いは多くのローマ遺跡がある。近場、海の交易、季候の良さはローマの人たちを招いたのだろう。
私はシリア、ヨルダン、レバノンと数え切れないほどローマ遺跡を訪れている。
出会う旅人は「ローマ遺跡を毎日見てると何処も同じに見えてくる」とよく言う。

この機能的な都市国家を各地に作ったことがローマ帝国の発展の大きな要因でもあある。
それも全て石で出来ているから2000年のときを持ちこたえているものがある。
全てのローマ遺跡には円形のローマ劇場がある。

アンタルヤは地中海岸沿いの美しい街。居心地の良いペンションに滞在し、日本や韓国の旅人と集い、自炊(私は買い物係のみ)生活を5日間過ごした。
このアンタルヤ近くにもローマ遺跡がある。
そのアスペンドスはほぼ完璧な状態で大きなローマ劇場が存在し、今も夏のみトルコバレーの上演がある。
この夏最後の上演が明日あるという情報を得て出かけた。

片田舎にある遺跡なので数百人も集まればと思っていたら、なんと人が押し寄せるように次から次へとやってくる。
15000人収容できる野外劇場は通路も上も下も立ち見の人たちで一杯。驚いた!
急勾配の石の座席はかなりゆったりとしたスペースなので、硬さを除いてなかなか良かった。
天井は星空、15000人以上の観客の声援の中で、トルコ創作バレー(基本はクラシック)は見事で、2000年前の野外劇場がよみがえった瞬間でした。
観客の中にアジア人の顔は一切見かけなかった。ヨーロッパからの人がほとんどだそうだ。
レバノン、シリア・夜行バスでトルコとシリア国境の町アンタクヤへ
翌朝着。ごたごたあったが予定通りシリア最大の港町、そしてシルクロード最終地点の一つであるラタキヤへセルビス(乗り合いタクシー)で行く。
この近くに紀元前からのウガリット遺跡がある。
廃墟に近く建物は形をとどめていないのでラタキヤ博物館で金箔で覆われた青銅の王などを見た。


 レバノンのトリポリは多くの美味しいお菓子の発祥地なので、美しい町並みを期待したが、街中ごみだらけのごみごみした街でがっかり。
ビブルス、サイダ、ティルは前回も訪れた地。ベイルートで少し仕事をした。

 ダマスカスはラマダン前のイラニアン巡礼者でごった返していた。ここでは古い知人に会い、お仕事。
ユーフラテス河・念願のユーフラテス川で泳いだ!
 ダマスカスからパルミアへバスで行き、一泊。
そしてテリゾールへ。
ホテルのおじさんに泳げる場所を教えてもらい、見張りを頼んで(ここはイスラムの国、女が泳ぐなんて)ユフラテス河の水に身体を浸す。
午前11時の陽射しはもうきつかったが水は結構ひんやり。澄んだ水には藻が生え、私の体の回りを小魚が泳いでいる。
何千年前からの人々の営みを体感。ホテルで出あった日本の考古学者の案内でユーフラテス川沿いのレストランでユーフラテス河で育った魚に舌鼓。
ナイル川に比べると、小さな河だったがやはり人が生きてゆくにはこの水が一番必要なのです。
アレッポへのバスは河沿いを走る。緑の畑を目にするとやっぱりねと安堵する。
待望のマリ(メソポタミヤの中心地だった、イラク国境近く)へも出かけた。今は廃墟に近い。
なが〜い時の流れが照りつける陽射しの中に匂った。


アレッポからイスタンブールへは34時間の列車。食堂車も無く、物売りもいない。コンダクターのおじさんが他の乗客は無視して、何かと私の面倒を見てくれた。「どうにかなるのよね」とまたまたつぶやく私でした。9月26日無事帰国。
アスペンドス
トルコ
古代ローマ円径劇場
今回の旅は年甲斐も無く移動の多い旅でしたが、帰国して体重計に乗ると数字が跳ね上がっていた。
余りいい古いものが見つからなかったが、それでも仕事もしました。もう田舎で掘り出しものの古いものが見つかることは終わったみたい。
’0510月22日