ヤンゴン・今      ミャンマー(ビルマ) 2001年12月 
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3年ぶりのミャンマーのヤンゴン空港は思ったより小さな空港だった。メンテナンスが悪くガラスなど汚れがひどかった。以前泊まったストランド・ホテルは改造され一泊450ドルとか。イギリスのコロニアル時代に作られた由緒あるホテルで、13年前はたしか20ドルの安い部屋もあった。だがこんなに高くなっては私の泊まれるホテルではない。10ドルから25ドルのホテルをあちこち捜したがほとんどが汚くて、やっと新しい小さなホテルメイフアー・インという一泊10ドルのホテルに落ち着いた。
お隣の国、タイに比べるとホテル代は高め。ホテルもピン・キリだが価格により内容が違って当然。この国はその内容の把握がまだと言った感。

   ここは歩道!
   やっと人、1人通れます
ドルとチャットの関係
空港でまず、昨年までは300ドルだったが、今は200ドルのFCという紙切れにツーリストは強制的に交換させられる。国内のフライト、列車、ホテルなど公の代金はこれで払わなくてはいけない。そしてこのFCを闇の両変えでチャっトに交換すると1ドル690チャット。政府の両換えレートは1ドル8チャットとか。あまりにもの差額に頭の中は混乱して1ドルいくらなのか把握できない。インフレでますますチャットの価値は下がっているそうだ。闇の両換えも政府は大目に見たり、厳しく取り締まったりしているようだが、あまりにもの差額なので実質政府の両換えレートで換金する人はいない。したがってツーリストはホテル代、公の交通機関、博物館などの入場料はFCかドル払いを強要させられる。FCまたはドル払いは安くないが食べ物などチャットで支払うものはとても安いということになる。私の仕入れるものはドル払いとは・・・・・。だって外国人しかかわないものということらしい。

 ビルマの土着宗教
 ナツ信仰のオルター
あなたの生まれた曜日が運命を左右する!
  菩提樹の木の根元
人々の暮らし
男子学生もロンジン(サロン)着用

 未だに海外の情報は多くはない。テレビも国営のみが1日3時間放映。インターネットもできない。
政府に5000ドル払えば許可がでるそうだが1ヶ月100ドルの収入があればバン万歳という庶民にとって高嶺の花。Eメールは出来るが1メールが3ドル、受け取りが1ドルと高い。
国民のほとんど男も女も未だにロンジン(サロン)を着ている。冬だと言うのにヤンゴンは毎日25度から30度の暑さである。この暑さにはロンジンが一番涼しくて快適である。1988年の経済開放政策が取られ、今では路上はもの売りが氾濫している。
13年前はもの不足でお金よりTシャツを欲しがっていた人々もお金を稼ぐことに勢をだしていた。ただツーリストが多くないせいか他国のアジアに比べるとツーリストプライスを要求されることは少ない。まだまだのんびりしたところが
ある。

アロマコーヒーというコーヒ‐ショップのチエーン店は美味しいコ‐ヒ‐を飲ませてくれるが、一杯300から400チャットする。円で60円。だがストリートカフエでは5円。もちろん同じコ‐ヒ‐ではなくインスタントの甘いコーヒー。庶民にとってアロマコーヒーなど高くって飲めない。
歩道の半分はこのような路上喫茶、レストラン、本屋に金物屋、果物売りがひしめいている。
路上カフエー
中央はビルマの女僧 彼女もコーヒー飲む
の?

古本屋
古本屋が多いのには驚く。ビルマは日本の寺子屋のような教育の場が昔からあった。貧しい国だが識字率は高く85パーセントから90パーセント。新しい本は高いので、なんと本をコピーし、製本をして売っている。私の今回のビルマ訪問の最大の目的は踊る天女のパターンの意味を調べることである。それに関連した本を見つけたので知りあった日本人のk嬢に訳してもらおうとコピー本を作った。その本の値段より2倍も高く付いた。ただし古い本だったのでそれ一冊しか手に入らなかったのでコピーするほか手段がなかったのだが。現実には古本屋にはコピー本が山積みにあった。印刷本より安い???どうやってという疑問が残った。

「これは何に効くんだ?」
「精力剤」
「これは神経痛」
「この蛇の皮も精力剤に効くよ」
また路上にはけったいなものも売っている。トラの牙、サルの脳味噌、熊の肝から蛇の皮まで売っている。すべて薬なのである。皆がその珍物売りを取り囲んで何に効くか、ここが悪いのだがどれが効くか尋ねていた。こんな風景はアジアでは消えつつある。20年前、確かタイだったと思うが、目に見える虫、うごめいている虫を見せながらこれを付けると虫が死ぬといって薬を売っていた。なんとそれは虫歯の虫だと言う。まだトラの牙の精力剤のほうが説得力はある。
サル、鹿の頭蓋骨、何かの牙、脳みその乾燥
 回は10日間ヤンゴンのみにいたので結構ローカルのバスに乗った。どうもスレパコダが中心のようなので行きはタクシーに乗り、帰りはスレ‐と叫んでいるバスに乗ってみた。それは正解だった。そのうち行きもだいたい感でこちらの行き先を尋ねるとバスに乗れるようになった。地球の歩き方はローカルのバスは複雑で無理だと書いてあったがさほど難しくは無かった。ただしヤンゴンの人々のやさしい手助けがあったからだが。
バスの中から公園の中に調べている天女を見つけ、翌日その写真を取りに行ったり、博物館も宝石博物館もバスで行った。いつも20チャットか10チャットだった。
13年前訪れた時は4階建ての市庁舎ビルが一番高い建物だった。だがいまでは13階の高層ビルが3個ある。サクラビルといって日本企業が入っている高層ビルもあった。
でも左の写真のようなイギリス植民地時代の建物がまだたくさん残っている。ほとんど3,4階建てで今にも崩れそう。中には住めないビルもある。このような建物はたくさんの草、木が生えている。このようなコロニアル風景は消える運命。以前はシンガポール、マレイシアにもたくさん在ったのに完全に消えた。ベトナム、ペナン島、などわずか残っている所もあるが。
実際この建物を見ると、大丈夫、崩れないかしらと心配。そんな建物がここ、ヤンゴンではまだまだたくさんあります。興味のあるかたはお早めにお出かけください。

探し
 見つけた天女の古本はビルマ語だったので英語のものはないかとあちこち捜した。スレゴンパゴダの図書館へ行きなさいと古本屋の主は言ったので訪れた.館長さんは白髪の初老のやさしそうな方だった。ただし彼の英語は発音が聞き取りにくいものだった。若い人の英語は聞き取りやすいのだがどうも年配の人の発音は不明瞭で理解しにくい。私が「パードン」と何回も繰り返すので彼は英語で書き始めた。館員の女性がその物語の本を捜してくれた。英語版だったのでこんどはこの本を捜したが本屋にはない。しかたないのでこれのコピー版を作ることになった。図書館の下働きの人が街まで同行してくれて1時間も待たされてやっとコピー版を手にした。読んでみたがあまり詳しくはない。ビルマ語の古本がやはり一番私の求めている情報を持っているようだ。ただしこれば現代のビルマ語ではなくバ-リ語、昔の仏典に使われていた言葉でビルマ人でも読める人がいない。お坊さんなら読めるのではとスレパゴダを尋ねた。ちらっとその本を見た僧侶は明日来なさい、友人に尋ねておくからという。どうも彼にも読めないらしい。
そんなに古い本ではない。1997年に発行され、何かの賞をもらった本だとあとがきに書いてあるそうだ。
薄ペっラな藁半紙で出来たその本がとてつもなく貴重な資料であるのではと思ってきた。昔の仏教の庶民の物語が600あり、その中の一つであることはまちがいないのだが。たくさんの人にこの話を尋ねたがみんな少しづつ違う。ものすごく違う話もあった。口承で伝えられた物語の行く末を知った。
いずれこの話はまとめて書きましょう。                おわり