サマルカンドの4人組み  ウズベキスタン 2002年6月         旅TOPへ   Home

  憧れのレギンススクエアー
   ブルーの競演! 
 30数年前だと思うが1枚のポスターを見た。空と同じ色の美しいドームの屋根はまさに空とタイルのブルーの競演だった。

そのころ私はブルーが好きだったので特に印象強かった。
そして、こんな風景がこの地球上にあるのだと驚いた。
それがサマルカンドのものであることは数年の後知った。
サマルカンドは何処だろう?

そのころ、ソビエト連邦の国々の地図は私の頭の中でぼんやりとして明確ではなかった。
いつか是非ブルーの競演を見てみたいと長い間思っていた。

 1991年ソビエト連邦崩壊に伴い中央アジアの国々の地図を眺めるようになった。
そして憧れの美しきブルーのタイルのドームはウズベキスタンにあるのだと確認した。

ペシャワールで以前からウズベキスタンのボハラのモノは見ていたにもかかわらずサマルカンドとウズベキスタンが結びつかなかったのだ。

一人旅を好む私はソビエト連邦崩壊直後は無理だと思った。
フライトはパキスタンのイスラマバードから出ていることまで確認していたし、ビザについてもあちこちで尋ね、招待状が必要であることまで調べていたが。

そしてロシア語が主流の国。
そのうち交通の便も良くなるだろう、英語を話す人も増えるだろうと待っていたのだ。
 そして念願かなって2002年6月、フライトでタシケントに入り、乗合タクシーでサマルカンドへ向かった。

バスも走っていたがタクシーの倍、6時間も掛かる。

カリヤン(コリヤンの人をロシア語ではこう呼ぶ)の運転手さんが片言の英語で話し掛けてきて15ドルで交渉設立。

タシケントからサマルカンドへの道筋は小麦や綿畑が続いている。
意外と農業国なのだ。もっと乾燥した不毛の大地かと思っていたので以外だった。
道路は舗装されているがデコボコで管理は良くない。まっすぐな道を130キロで車は走っている。

午後1時には予定していたサマルカンド、レギスタンスクエアーに近い宿に着いた。早速、ブルーの競演が見たくてレギスタンスクエアーへ出かける。
とにかく建物がでっかい。ミナレットは少々傾いている。
あいにく空は白っぽいブルーだった。
その日のブルー競演はドームの勝ち。
だがだが、私を待ちすぎたのかブルーのドームの屋根には草が生えていた!
それでも長い時間を掛けて、かもし出す落ち着いたブルーは美しかった。


シェルドル・メドレッセのでっかい入り口の上にはトラの中に顔が、そのそばに鹿も描かれている。
顔はペルシャ、ゾロアスター教のサンレディの顔。昔のイランの国旗はトラの背中の上にこの顔が描かれたものだった。
この国の人たちはトルコ系だが、かってペルシャの国でもあったので偉大なペルシャ文化の影響は大きい。
こんな所に歴史は残るのだ。アーチもローマのものは半円だが、ペルシャはアーチの頂点が尖っている。ここのアーチももちろんペルシャの形。
それぞれのメドレッセの中庭を囲むようにある小部屋はおみやげ屋さんになっている。古い物はないかと覗いて周る。
観光客はほとんどいない。みんな私をめがけて話し掛けてくる。

「ミュジアムクラスのものを持っているよ」という若い男性の声に足を止め彼の店に入る。
これが私とヌーリックの出会いだった。
 あれこれ刺繍の布をヌーリックに見せてもらっていると中年の男性がやって来る。
この人がとてもテキスタイルに関して知識を持ち合わせているラジャイだった。
このラジャイとヌーリックは共同でこの店をしているそうだ。
ヌーリックの父親は博物館へ収めるような良いモノを扱うディラーで、ヌーリックはこのラジャイの元で只今修行中であった。
ラジャイは英語が話せない。
ヌーリックは英語を流暢に話す。この点でもお互いに助け合っていた。


 こちらも長年積み重ねてきたある程度の布についての知識はある。
だから話が弾む。
こうした人から現地での情報を豊富に得ることが出来、私にももいい勉強にになる。

カラカルパキスタンのキルシエックという民族衣装も本で見たことがあるが、実物を見るのは初めてだった。

マノートというウールとコットンで出来た素材も始めて知る。
そしてアドラスト絣とアトラス絣の違いも分ってきた。

フエルガナのマルギランでアトラス絣を作っていた工場の工場長さんが、「アドラスではありません。アトラスといいます」と何度も繰り返していた。
私は単に私が間違って発音しているのだと思っていた。

だが綿やシルクと綿の混合、合繊の絣はアトラスといい、シルク100%はアドラスという事が判明した。刺繍のパターンの地域性の違いも分ってきた。時代によってもパターンは違ってくる。
サマルカンド近くの村では丸いディスク柄の中によく小さなポットが刺されているがこれは20世紀に入ってからだとヌーリックが教えてくれた。

大まかに分けると、タシケントは大きな太陽が中央、サマルカンドはこの円形が数個ある。
ボハラは円に花柄がたくさんあり、細やかで美しいので一番人気がある。
でも古いいいものは海外へ流出している。
特にラッカイ族の刺繍は柄、テクニックとも丁寧で良いモノが多い。

大きな刺繍の布が多い所だがほとんど結婚式など特別な時、壁にかけるものだそうだ。
これを吊すことで、日常の空間から切り離しした非日常が演出できるのだ。


話はつきない。サマルカンドに着くやすぐ、いきなり布の話で盛り上がってしまったので私も疲れた。
「明日また来るわ」と言ってホテルへ帰った。
結局、1週間も毎日彼らと行動を共にする結果になった。
帰国したらまた娘に言われるだろう。


「もうー お母さんははいつも周囲の人を巻き込んでしまうんだから」



      サマルカンドの4人組

  ヌーリックと郊外のレストランで
アクセサリーにしても、民族衣装にしても結構ロシア語版の本が出版されていて驚いた。

「ここに出ているのがこれこれと本を見せてくれる」英語版ではここまで詳しい本は見たことが無い。
ロシア語、残念ながら私には全く理解できない。
現代ではこの本に出ているような民族衣装を着ている人は見かけなかった。
これも消えてゆくのだろう。アトラス絣のチャパン、クルタ、壁掛け、カーテンなどあれこれ買ったので送る手段をラジャイに尋ねた。

「賄賂を少し払えば大丈夫ですよ。DHLで送ればいいし」という。

「賄賂っていくらなの?この国はEMSはないの」と尋ねると知らないとのこと。

ラジャイは海外へ送った経験は無さそうだ。
アクセサリーを買ったところのアスレーが「以前イタリアに送ったことがある」という。
アスレーは自分の店は女性2人にほとんどまかせっきりで何やら他のことをやっているらしい。
携帯電話を持ち、車も所有している。ちょっと怪しげなヤツでもあったが、話をしていると頭の回転は速いし、中央へのコネクションもあり、頼りになる人であるらしい。

翌日、何がともあれ郵便局へ行って発送可能か、送料はいくらなのか調べることになった。
アスレーの車にヌーリック、ラジャイ、私の4人が乗り込み出かける。郵便局近くでラジャイがタバコを買いに行くと言って車を降りた。
我々は郵便局でEMSがあること、だがやはり古いものは許可が必要という結果を得た。

この辺りの交渉はアスレーしかできないようだ。皆で対策会議?兼昼食に出かけることになった。
だがタバコを買いに行ったラジャイが郵便局にこない、仕方がないので3人で出かけた。
食事の食べ所はやはり地元の人が一番良く知っている。おいしいシシャシリク(バーべキュウ)をほおばる。

意外とアスレーも悪い人ではなさそうだ。33歳という彼はウズベキスタン兵士としてアフガニスタン・マザリシャリフに行った時大怪我をしたことがあり、パイロットの資格、ロシア語の教授の資格を取得しているとのこと。
このような経験が彼をニヒルに感じさせるようだ。ヌーリックが

「彼はね、ガールフレンドがたくさんいるんだよ。いつも女の人から電話が掛かってくるんだ」といった。

「アスレー、どんな女性が好きなの?」と私が尋ねると

「きれいでなくていい、ハートと頭がいい人」

「へーハート!?あなたがね」と皆で大笑いをした。

とにかくその後男と女の話で盛り上がり大笑いをしながらの楽しい食事だった。

その頃、ラジャイは郵便局がどこか分らず仕方が無くタクシーで店に帰り、ふてくされていたのだった。後でヌーリックが

「ボスは子供みたないな処があるんだ。テキスタイルの知識はすごいのだけど、シンプルな性格には困る」と嘆いていた。

とにかく荷物の発送許可はアスレーが交渉してくれる事になった。
日曜日にはサマルカンドから60キロのウルグッドでテキスタイルのバザールがあると言う情報をえていた

。それに行きたいと皆に言うと皆で行くことになった。
ラジャイはこの村近くに住んでいるそうだ。「良い物はないかもね・・・」と言っていた。


朝7時きっかりヌーリックが私のホテルに迎えに来てくれタクシーで出かける。
昨夜はガールフレンドの家に泊まり朝帰りだと言うヌーリック。

「ムスリムがそんなことしていいの?」

「僕、1年間イスラムの学校へ行ったんだよ。だからムスリムの教えや行動も知っているよ。でもムスリムだって変化するよ。もっと問題なのは彼女がロシア人なんだ。お母さんはウズベキスタンの女性が良いって言うのだよなー」

明るい、素直な22歳のヌーリックにもこんな悩みがあった。
果物が欲しい、インターネットがしたい、何か違ったものが食べたい、あそこに行きたいなどと私の我まま全てを付き合ってくれたヌーリック。

目を輝かせて父親の仕事や家族の話、将来のことなども話してくれた。
勉強になるからと他のアンティックギャラリーも2人で見に行った。ひそひそと2人で

「良い物はすごい値段だね」と品定めをした。
偶然、私はここで発掘品のナインアイの半分を見つけた。完品はウンゼンドルのものだ。

「それ本物なの」とヌーリックは心配顔。

後でラジャイにも見せたが本物だといい、僕が完品を見つけてやるからといっていた。

ヌーリックは英語が堪能なだけに本当に御世話になった。

30分、朝もやの中、田舎道をタクシーは走りバザールに到着。
古いテキスタイルはバザールの北側の片隅で売っていた。すでにアスレーもラジャイも来ていた。
刺繍、チャパン、アクセサリーとたくさんある。が良いものは少ない。

私が欲しいものを見つけると、アクセサリーはアスレーが交渉、テキスタイルはラジャイが交渉、ヌーリックは通訳と私のボディガード。

そしてこの4人組連携プレーで2時間、私は仕入れをしたのである。
売る人は全く英語は話せない。
紙に数字を書くことで私一人でも交渉出来ないことはないが、良いものへの判断は複数でする方が良い。
ここはサマルカンドのお店の人も仕入れにくるようだ。
珊瑚の古いアクセサリー、錦のチャパンなどが手に入った。

アスレーが言っていた。
「今日はタシケントから誰も買いに来ていなかったので良かった。僕のこの額の傷はここでタシケントから来た人との喧嘩で出来たのだよ」

その日の昼食もプロウの美味しい所があるからと出かけた。もちろん4人で。
いいレストランではプロウ(ピラフ)も浅い鍋で出てくる。スペインのパエリアのようだった。
バザールでは大鍋から茶碗によそってくれるのだが。
レストランは平鍋がどーんと出てきて、肉や野菜がたっぷり。
中身もバザールとは全く違う。

ラジャイが
「昨夜は4回したから、脂身を食べなくては」と冗談を言っている。

「ラジャイ、私の脂身も上げるから5回にしたら」と私が言うと、また皆で爆笑。

愉快な中間達である。
サマルカンドでウズベキスタンの美味しい食事は全て賞味した。
肉マンにヨーグルトかけも4人で大笑いをしながら食べた。

ウルグッドのバザール

中央アジアではこのように眉を刺青でつなぐのが美人でした。紀元前に作られた人面のトンボ玉の顔もこのような繋がった眉です。関係があるのかなー
*ウルグッドのバザールにて*
 結局アスレーは何度も文化庁のような部門へ電話をしたり、出かけたりして発送の許可を頼んでくれた。
そして相手は高額な賄賂を要求してくる。
もっと安くならないのかと私も要求したが、担当官は品物もみないまま、xxxドルと言ってきた。
アスレーに他に方法はないか尋ねたが現在では致し方がないとのこと。

まだまだこの国はこんな国のようです。仕方がない要求どうりの支払いをした。3人に荷物の発送をお願いし、次の訪問地ブハラへ行くことにした。

ブハラ行きの乗合タクシー乗り場まで3人の男達は見送りに来てくれる。
アスレーが交渉してくれ、3時間の乗り合いタクシーが8ドル。

「マサコ、一人でこの先旅が出きるのか」と涙ぐんで心配しているシンプル・ラジャイ。
アスレー、ヌーリックとも何度も握手をする。
近くにいたポリスが異常を感じ、「この荷物の中身は何だ!」と私のリュックを指差す。

こういうときはアスレーの役目。強い口調で「ただのツーリストだよ」と睨みを一瞥。

私の目もちょっぴり潤んでくる。
それぞれ全く違った個性を持つウズベキスタンの3人の男達との楽しい1週間。

「また来て!」とヌーリックが叫んでいる声をタクシーのアクセルの音がかき消していた。
                          * * * * * * * * * * *
合繊ですがアトラス絣のワンピースを着た少女
       バザールのプロウ
チャパンに帽子と長靴
これがウズベキスタンの男性の本来の姿!
サマルカンドの後、ボハラ、ヒバへ行き、タシケントへ飛び、トルクメニスタンのアシュガバットへ飛び、陸路越えでイランのマシュハドへ行き、イスファンの友達の所で1週間滞在して再びタシケントへ帰ってきた。
そしてヌーリックに電話をした。


「MASAKO!Where are you?  Ashulay is asking about you everyday . Sym was going down, so they asked sym for pay. but We managed to send your goods. It was succeed ! It was first time for us. When do you come here?」 
                                                 注:Symはウズベキスタンのお金の単位
ヌーリックの明るい声が電話器の向こうで弾んでいた。    おわり