アンティーク沙羅 
岡田正子

 旅TOPへ TOP
ハウスボート 
インド・カシミール・スリナガール 2002年11月      

ハウスボートとシカラ(小舟)
パキスタンとインド国境の摩擦は収まったり、ひどくなったり・・・
未だに日本政府は避難勧告継続中のここカシミール。

確かにスリナガールの街じゅう、兵士で一杯。だが、みんな笑顔。何かが起きれば途端に、緊張感がくるのだろうが。
私はきわめて自己中心主義。私がいる間は平穏でいてねと祈る人である。

思えば、1989年の夏、ラダックへ行くつもりでスリーナガルへ来たら、その時も何かが起きて4、5人のツーリストが拉致された。
ラダックへの道はクローズされ、ハウスボートで1週間待ったが、ますます緊張感は増すばかり。
戒厳令がひかれ、外出も出来なくなり、ハウスボートに閉じ込められた。
でもこれが結構楽しかった。済みません。
だってハウスボートにはイタリア、ドイツ、イギリスのアーテイストばかりが滞在していた。
みんなでディベイトしたり、フルート奏者は奏でてくれるし、私はみんなに求められて旅の話をしたりした。
その後ずーと未だに何かある度、パキスタンとの緊張関係が高まっている。

野菜売りのおにいさん
今日はこの菜っ葉が安いですよ
ハウスボートとは?
イギリスがこの国を統治していたころ、ここスリナガールは北に位置し、
標高1600kmの高地にあるので避暑地として人気があった。

だがカシミールの人は貧しいので、藩主は土地をイギリス人に売らないよう命令を下した。
さもなければ、カシミールの土地は全てイギリス人のモノになってしまう。
そこでたくさんある湖にボートを浮かべることを藩主は許可した。

今でもほとんどのハウスボートのオーナーは元イギリス人のハウスボートで召使として働いていた人か、その息子である。
したがって西洋人の欲することを良く知っている。
一般のホテルとは少し違う。大抵二つか三つのベッドルームしかなiいので、朝から寝るまで非常に面倒見が良い。
朝10時と午後3時はお茶とお菓子が出るし、なかなか味わったことのないもてなし振りである。
この客扱いの良さは世界的に定評がある。

私は4度目のスリナガール。
今回お世話になったHighland Queenでは朝、ベッドにお茶を運んでくれないので、3ヵ目には主のグラムに言うと、
翌朝から毎朝、ベッドにコーヒーを運んでくれた。
私がコーヒーを飲んでいる間ストーブに薪をくべてくれ、水はすごく冷たいので顔を洗うお湯をくれ、朝食を食べる。
ハイ、優雅・・・日本だと全て自分でしないといけませんがね・・・

ハウスボートにはエンジンはない。だが浮かんでいるのだからたまには揺れる。でも湖なので非常に静かである。

時に政府のボートのエンジンつきが大きな音を立てているが、小舟のシカラはペダルで漕ぐので非常に静か。
私が宿泊したダリ湖は水深が5から15メートルなので島も作りやすい。
湖の中にある、小さな、地図にもない陸地、島?にハウスボートは繋留している。
何処へ行くにもシカラの小舟がないと行けない。
5歳の子供でさえペダルを漕いでいる。野菜売りもトイレットペパー売りも、洋服の仕立て屋さんもシカラを操り、売りにくる。
ツリーストを見つけると必ず声を掛ける。もちろんシカラは高い。
だって、シカラで運ぶ分人の手がかかっているから。
私はお花以外は買わないので、何時も日常雑貨を売っているおじさんは
「元気かい!」
と声をかけるだけ。
 
 
仕立て屋さん
誰が仕立ててるの?
ツリーストもいない。
でもここでは既製服はないのです。
  三食ともこのハウスボートで食べる。ハウスボートの主、グラムの奥さんが料理をしてくれる。
主のグラムは次男。長男はまだ50歳代の初めなのに隠居の身。
この長男は3回も結婚したのに上手くゆかなかった。
おっとりした良い人のようであったが、奥さんがいないとハウスボートの経営は難しくなる。
コックは奥さんがするのだから。

グルマルクへ遠出したときは果物まで添えられた美味しいサンドイッチを作ってくれた。

左は私の定番の居場所。日当たりがよくって、湖が見渡せる。

ここでよく昼寝をしたり、本を読んだり、PCに書き込みをしたりしました。
 
左はフローティングガーデン
つまり浮いた畑。たくさん出来すぎてシカラの交通の妨げになると政府が撤去していた。おばさん達が集まってデモ?抗議をしていた。
今回の旅の目的はカシミールの人が持つ不思議な手の謎に迫る、です。
何故カシミールの人だけシャツーシュが紡げて、織れるのか。

刺繍、はぎ合わせとかなり高度な手仕事がここの人は何故できるのか。
毎日刺繍をする人、織りをする人、糸の染屋さん、カニショールの織り人を訪ね歩きました。

そして副産物の発見。
この辺りは小麦粉を中心に栽培していると勝手に信じていたが、実は米、田んぼがたくさんあった。
小麦粉はインドから来ますとみんな口をそろえて言っていた。

謎は少しづつ解けました。やはり現場は多くの情報を抱えている。いずれまとめます。

ハウスボートの真ん中にある彼らの家
奥さんと一緒に

この小さな土、庭?の両側にお客用のハウスボートがある
でも去年のニューヨークのテロ以後お客は全く来ない。私も3ヵ月ぶりの客とか・・・。

したがって親切にしてくれる分、心づけが必要。
この辺り、私達日本人は下手。私も慣れてはきたがいまだに頭を悩ます。
出来ることはしたいが、私もやっと一人で生きている。

みんなを助けるほどの財力はなし。それにこんなことは無理をしてすべきことでもない。
ただ早くカシミールが落ち着いて、ツーリストがたくさん来ますようにと彼らのために祈っている。

山へのトレッキング、ボートトレッキング、湖は静か、緑は豊か、夏は涼しい。
穏やかな12年前、夏はヨーロッパの人の避暑地でした。早くそんな日が来ますように。

スリーナガルに興味がおありの方はこのハウスボートの弟さん、Noor M Gargroo がデリーでツーリストオフイスをしているので、
問い合わせて、お出かけください。 Highland Travels Email : highlandtravels@usa.net


Chinar
この樹は「Chinar」チナールの樹。スリーナガルにはたくさんある。特にムガール帝国時代、街中に植えられた。
今では3メートル、4メートルの幹、高さは30〜40メートルの大樹になっている。

伐採は禁じられている。私がいた11月はポプラはもう散っていたが、この樹が真っ赤に燃えていた。

カエデ科の樹だと思うのだが、英語の辞書にはない。
18世紀頃、この地を旅した人の英語本を今読んでいる。その本もこの樹はChinarだと書かれている。
和名をご存知の方は教えてください。 カエデの木?  
 おわり