アンティーク沙羅 
岡田正子

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国際列車 イスタンブール〜テヘラン  2004・7月

 ウズベキスタンのタシケントからトルコのイスタンブールへやって来た。
イランへも行く予定だった。
イランの後もここイスタンブールへ帰ってこなくてはいけないので、先にイランへ行った後、ここでゆっくりする予定。

 アジアとヨーロッパを結ぶ街イスタンブール。
かってロンドン発のオリエンタル急行はイスタブールのスィルケジ駅が終着駅だった。
現代でもルーマニアのブカレストとソフイアからの国際列車の終着駅。
アジア側のハイダルバシャ駅からはシリアのダマスカス、イランのテヘラン行きの寝台車が運行している。
イランとトルコ国境ではクルド人のテロがつい最近まで頻発して運休していたが、今は再開している。

 国際列車は日本にはない。
乗ってみようかな、でも3日間かかる。どんな列車だろうか?
食事は?水は?ベッドは?と迷っていた。週一回の列車は水曜日。
私がイスタンブールへ到着したのは火曜日。
翌朝、情報だけでも集めようと、ツーリストオフイスを尋ねた。
テヘラン行きの列車について知りたいと言ったら、近くのスィケルジ駅に行きなさいという。
宿泊しているのはブルーモスク裏の安宿なのでこのスィケルジ駅は徒歩圏内。
早速、トラムに沿って歩いてゆく。
駅でテヘラン行きの列車を尋ねると、94ミリオン トルコリラです。
というだけで列車の詳しい情報は得られない。駅員は英語が堪能ではない。
スリーパーですかといったら、コンパートメントだという。まーインドの列車より酷くはないだろうとチケットを買った。

 出発時刻は23時。アジア側のハイダルバシャ駅始発。
従ってフエリーに載ってアジア側まで行かなくてはいけない。ハイダルバシャ行きのフエリーは20時30までとか。

夜遅くなっての移動は危ないと思ったので19時半過ぎにフエリーの桟橋にゆき、ハイダラバシャ行きのフエリーに乗る。
フエリーはドイツ人設計の美しいレンガ作りのアジアの終着駅に着く。
構内で早速、水を3本購入。サンドイッチをほおばって夕食にした。

でもまだまだ時間はたっぷりある。
駅の入り口の階段に腰をおろして西のヨーロッパ側に沈む夕陽を眺める。
ボスボラス海峡の向かい側、鉛筆のょうに尖がったミナレットやモスクがだんだんと黒いシルエットをくっきりと描いている。
その背景は橙色から深い空色に変化してゆく。かもめが一日の終りを告げて夕空を舞っている。

一番星もよりあでやかに登場・・・美しい! 異国情緒たっぷりの風景を楽しんだ!

 駅の構内はちらほら人はいるが、それほどの混雑振りはない。
構内は4本の列車が静かに出発を待っている。
一番ホームの列車が数人の客を乗せて出発。
まだ22時なので早いと思ったが駅員にチケットを見せてどの列車か尋ねる。
指差す右端の12両編成の列車に向かう。このホームには人は誰もいない。
やっと一人の制服を着てはいないが、ここで働いているらしき男性にチケットを見せる。
英語はもちろん通じない。
「・x・x・xワゴン?」と言っている。
そうかこの国では列車はワゴンかと理解。
「Where is no 2 wagon ?」 
このとき二本の指で2を表せば通じる。
まだ列車内の明かりは灯っていなかったが、その男性は私を列車内に連れてゆきチケットに記載されているコンパートメントに案内してくれた。
そして、ここだよとコンパートメントの明かりを点してくれた。
乗客はまだ誰もいない。
なかなか清潔な部屋、四つのベッドも幅広、カギもついていてほっとする。

そのうち三々五々乗客は乗り込んできた。
同室になる人は?と待っていたが誰も私のコンパートメントには入ってこない。
もしかしてこのコンパートメント独り占め?と期待した。
期待どうり2日間のトルコ側のコンパートメントは独り占めだった。左の写真の白い部分がベッド、ブルーが一人分の座席。

クーラーもほどよく効いている。トイレも清潔。洗面所も別にあり快適に過ごせそうだ。
 23時列車はゆっくりとアジア大陸の端を東に向かって出発。

車掌さんのチケットの検閲後、ブランケットと枕をくれた。早速、部屋のドアーのカーテンを閉め、鍵をかけて眠りにつく。
 
 翌朝、洗面を済ませて8時ごろ食堂車へ行く。すでに客が数人。
メニューはトルコ語と英語が記されていた。
何所も朝食はたいした変化はない。ここはパンが薄っぺらな大きなナン、(名前忘れました)クレープのようでもある。
それにチーズ、ジャム、蜂蜜 と卵。コーヒーはネツカフエ、つまりインスタント。

実はトルコのパンは結構美味しい。
昨日の朝のホテルでは焼きたてのバケットだったのでとても美味しかった。
だが、この薄っぺらナンは、イランでも出るが、滅多に焼きたてはない。
でも列車の中なので贅沢は言えない。選択の余地はない。
薄っぺらナンで塩味チーズをくるくるまいて食べる。

やはり女性の一人旅は目立つ。周囲のおじさんたちがじろじろ。
その中の背広を着た中年男性が私の食事の様子を見ていて。
「You are very intelligent 」と言う。
「はー?」なんと答えていいか分らない。
まー誉められているのだからいいかーと思った。
このような状況の時、いつも日本人、代表者のように感じる。
つまりこの背広の男性はきっと友だちに言う
「列車であった日本人女性はxxxxxであった」と。
 食後、ガイドブックの地図を英語が少し話せる若い男性ウエイターに見せて現代の位置を教えてもらう。
トルコの首都アンカラは今朝早く到着。
ぐっすり寝ていた私は気付かなかったが。
そして、昼過ぎにはカイセリに着くそうだ。
昼食も食堂車でうどんのように柔らかいスパゲッティのトマト味を食べた。

夕食はメニューを見ても分らないので、私がキッチンに入りトリのささみとトマト、野菜を指差して、
コックのおじさんに炒めてもらってパンと共に食べた。
   24時間、この小さな部屋のコンパートメントで過ごすわけだが、同室者がいないので、思いのまま過ごした。
イスタンブールの宿でマネィジャーに許可をえて入手した日本語の文庫本「オーバーザトップ」は訳者がよくって映画より数倍良かった。
ブラジルの方(Paulo Coelho)が書き、英語に訳された「Eleven Minutes」は元売春婦の女性の実話。
考えさせられることが多かった本だった。

 読書に疲れると外の景色をながめる。
トルコは農業国。なだらかな丘の小麦粉畑が黄色く色つき波打っている
。刈り取りがすんだ畑では干草のロールが所々にあり、もう冬を待っている。
畑にはくっきりと機械で刈り取りを済ませた後が見える。
ウズベクでは目にしなかった光景だ。
緑の中にぽつん、ぽつんとある農家の屋根はレンガ色の赤。かわいい。
まるでヨーロッパみたいだ。
東に行くほどイスラム色が強くなると聞いていたが、時折、沿線の道路で手を振る小さな女の子でさえスカーフを被っている。
線路近くの草原には黄色やブルーの小さな花が咲いている。
春にはかわいい花畑が広がっていたことが想像できる。
名前は忘れたが、最近日本の花屋さんでも見かけるあざみのデッカイ花があちこちに咲いていた。

眠くなるとベッドで午睡。夜はベッドで寝ながら星空を堪能。

退屈するかと思ったが、ほどよい冷房が効いていて、なかなか優雅な時が過ごせた。
地図を見ると、イラン国境近くにはワン湖という大きな湖があり、線路はその湖に行き着き、また湖から出ている。
湖底にトンネルがあるのかと思い、食堂車のウエイターに尋ねると、余り英語は通じないのだが、フエリーと盛んに言っていた。
どうもフエリーに乗り換えるようだ。
二日目の12時頃、タトウとい湖の町に着くと、車掌さんが

「フエリー フエリー」と言っている。

どうもこの列車はここまでで荷物を持って降りろといっている。
列車はフエリー乗り場の側でストップ。荷物を持って他の乗客の後に続く。
3両の貨物車はフエリーの中にも線路があり、そののままフエリーに乗っていた。
2階の客室のイスに座り込む。このフエリーはお世辞にもきれいとはいえないものだった。

前の席の中年女性2人がホットサンドを食べている。私も空腹を思い出した。
女性のサンドを覗き込み、中身は何ですかと尋ねる。
チーズとソーセージだった。キョロキョロしていると女性が,サンドイッチを売っているカウンターを指差して教えてくれる。
勝手にフエリーはそんなに長く乗ってはいないと思ったので、急いでコーヒーとホットサンドを昼食に食べた。 
フエリーの乗車時間も知らないで乗っているのですよね・・・

 ワン湖のフエリー
外はもう暗くなっていた
背広の上着を着た男性が近寄ってきて、
「君が一人なので皆が話し合い手になってやれというので来たのだけど」と話し掛けてきた。

デンマークに住んでいるイラン人の方で、建築家だとか・・・ イラン革命の時デンマークに移住し、里帰りをするのだと言っていた。

フエリーは一向に目的地に着きそうもないので、いったいフエリーは何時に着くのか尋ねると、17時過ぎとのこと。
びっくりした!勝手に1時間ぐらいだろうと思っていたのだ。
ワン湖はとても大きくて5時間もかかるのだ!

デッキに出て風に吹かれたり、北の遠くに見える雪山、あれはアララト山ではなかろうか、(聖書に出てくるノアの箱舟がたどり着いた山)
と思いを巡らせたり、デッキと客室を行ったり来たりした。

17時半、ワンの町に着く。
ここはまだトルコなのだが次に乗るのはイランの列車。
この列車の到着が遅れてワンの駅で2時間も待たされた。
 
 やっと列車ががやってきたので、車掌さんにチケットを見せると、ここだというので入った部屋はトルコに比べると薄汚い感じだった。

しばらくすると、トルコの列車と同じコンパートメントだと言っていたのに、トルコ人の男性が私のコンパートメントに入ってくる。
ドアーを閉めるとこの陽気なおじさん、暗闇の中で嬉しそうに私に抱きついてきてキスをする。

駄目!と払いのける。
ブランケットと枕は何所? と思っていると、このおじさん、知らないのかここだよと棚のバッグを引きずり降ろし、ベッドメイキングをしてくれる。
横たわる私にブランケットを掛けてくれ、またキスをしようとする。
この列車はイランの列車。
イランではツーリストを含めたイラン国内の女性全て、スカーフを被りマントルで体を覆わなくてはいけない国。
なのに何故男性と同じ部屋???
車掌さんがチケットの検閲にやってきたので、トルコのおじさんを指差し、出て行くようにジェスチャーで言った。

この陽気なトルコのおじさん、すごすご荷物を持って出て行った。

 一安心をして眠りについた。
車掌さんが降りてくださいと私のドアーの鍵をあけて入ってくる。
ぐっすり寝ていただけに
「何なのよー、あーそうか国境だ・・・・」とパスポートを持って下車。

皆、とっくにトルコ出国のパスポートコントロールの建物に行ったようで、列車から下りたのは私ともう一人の男性だけ。
まだ私の頭は目覚めずボーとしている。
とにかくそのおじさんの後に続き、建物の中に入る。
明るい電気が付いた建物の中はすでに何百人かの人でひしめいている。
さっきのおじさんが私に窓口へ行けと合図をしている。男女別の窓口になっている。
スカーフを被った女たちの長い行列に並ぶ
外国人もこの列かな?とキョロキョロしていると、係官と目があった。
日本の赤いパスポートを窓口の係官に見せる。「来い」と手招き。
すぐ受け取ってくれ、出国スタンプを押してくれた。
長い行列の女たちに申し訳ないと思ったが、このような経験は何回かしている。
そしてこの赤いパスポートは水戸黄門さんの印籠なのだといつも思う。

 イランに入ってすぐの駅でお母さん、十代の娘、7歳くらいの男の子が私のコンパートメントに入ってきた。 
家族旅行で興奮しているのは分るが大きな声でのおしゃべりがやまない。
今は真夜中の2時、たまりかねて

「Be quiet . Now it's midnight , everybody have to sleep !」
と注意すると静かになった。

が、今度はいびきがすごかった。翌朝、父親がコンパートメントが確保できたと呼びに来て、その家族は移動した。
私の部屋は再び静けさを取り戻した。
この家族の目的地もテヘランだったので、度々顔を合わすことがあったが、何時も笑顔だった。

私の苦情は最もだと理解してくれたようだ。

 イランの入国審査は列車に係官がパソコンと共に乗り込んできて、皆のパスポートを集めてはパソコンに入力、スタンプを押していた。

12時過ぎ、イラン北部の大きな都市、ダブリンに到着。
イランの列車でも食堂車で食事を取り、午睡、読書、ぼんやりと外を眺める。

やはりトルコの方が経済状況はかなり良いようで、ここのお百姓さんの家はほとんどが土の小さな家だった。
列車のトイレも少々汚い、長距離列車なので水の補給はとても大切。
トルコ側の2日間は水が出ないことは一度もなかった。
が、イランではテヘラン近くになると全く水が出なかった。

テヘラン、20時着が遅れて23時過ぎやっと到着。
国際列車の乗客はあかあかと電気が灯った真新しい駅の建物の一室に入るようになっていて、荷物検査があった。
私はフリーパスで通過。予定していた宿へタクシーで行った。

疲れは全く無かった。 あ た り ま え?寝ては食っていただけ?!

おわり