アンティーク沙羅
岡田正子
 
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交易の街・ペシャワール  パキスタン  ’05・3月  

 チョークヤドガー
バザール
ブルーはチャドルの後ろ姿

初めてこの街を訪れたのは1986年。初めてのイスラムの国がいきなりイスラム色の強いこの街だった。

その街の様や人々の違いに呆然とした。
大体1年半か、1年ごとに訪れているので、数えたことはないが10回以上の訪問は間違いない。
’05.3月にまたやってきた。
街の変化はさほどないように見えるが、20年近くも来ているのだからその昔に比べると随分変化している。
昔はトンガ(ロバの荷馬車)が人も荷物も運んでいた。
今はトンガで荷物運びをしている風景はたまに見かけるだけ。三輪のオートリキシャが庶民を運んでいる。
だが、古い町並みはまだまだ異様な怪しげな雰囲気は残っている。無法地帯もある街。

 この国境の町(ペシャワールとはペルシャ語で国の境という意)は周囲の国の状況でかなり変化する。
アフガンがソ連と交戦している時代はアフガン帽を被り大きなショールをまとったムヂュハディーン(聖戦の戦士)が
カラシニコフを抱えて街を闊歩していた。
アフガンの内戦が続くと難民が押し寄せていた。

1991年のソ連が崩壊するまではウズベキスタン、トルキスタン、タジキスタンの品々が山越えをして集まっていた。
世界中のバイヤーが集まり、必ず同じホテルにいつも一人や二人は滞在していた。
新米バイヤーの私はヨーロッパのバイヤーから随分学んだ地でもある。
お互いにその日の収穫を自慢しあった日々が懐かしい。
現代でも多くはないが、さまざまなものがイラン、トルキスタン、キルギスタン、ウズベク、アフガニスタン
から人もものもやってくる。

この街にはアフガンの友人も多い。
初めて出会った時は独身だったヌーンも子供が5人、上の娘は14歳になった。
彼の頭にも白いものが増えてきた。
アフガンの家は内戦中売ってしまい、帰国出来ないと未だに6畳一間に一家が住んでいる。
賢明なワジルはペシャワールの店を弟に任せカブールに帰っていった。
今はカブールのチキンストリートに店を出しているそうだ。

そうチキンストリートは唯一内戦中にも戦火を逃れ、私がアフガンを訪れた’95年、歩き回った通りだ。
 

女性の姿なし
 
 ペシャワールは人口80万の結構大きく、地理的な要因でシルク道路の要所として栄えた古い街。
現代は他の古い町と同じように旧市街、新市外とで成り立っている。

首都のイスラマバードは全くの近代都市。カラチは新旧入り乱れた都市。
ラワルピンディやペシャワールは新しい部分もあるが、古い街。従って未だに社会は村社会。
宗教色が強い。
 バザール イスラム、スンニー派の人たちが暮らしている。
もうカラチでは皆無に等しくチャドルを着用している女性はいない。

:ご覧のようにチャドルですっぽり覆っている女性。

この国自体はチャドル着用を強制しているのではない。
 
アフガン難民、今 
 
難民一家、ここで生まれた子供たち
今回は久しぶりにアフガン難民キャンプを訪れた。
キャンップといってもテント暮らしではなく日干し煉瓦で家を作って住んでいる人たち。

そこには小屋、バラックもある。
ここから20キロ先のテント暮らしの難民キャンプはたまたまお役所がお休みで許可が取れなかった。

アフガンは今、外国の支援で成り立っている。
ドルの流入と共に物価全て値上がり。それに帰国しても住む家のない人たちは今もここで暮らしている。
まだこのキャンプで3万人暮らしているそうだ。
左の写真は子供たちが鉄くず、ビニールを街で拾い集め、仕分けをしているところ。
ビニール1キロ4円だそうだ。日々の糧になる。

貧しい、下水が道路にあふれ不衛生。
救いは子供たちのくりくりした大きな目の笑顔。
  
 
ペシャワールのホテル
常駐宿の グリーンホテルは老朽化してきたので、今回は何処か違うホテルに泊まろうと思っていた。
が、フライト中、考えを変えた。
女一人の旅は何かと好奇心の的になる。またじろじろ見られるのも疲れる。
「ペシャワールだもん、やっぱり気をつけないと。グリーンに泊まるか、それが一番安全だし、何か起きてもみんなが助けてくれるし」と、
またまたグリーンホテルに投宿。

フロントもボーイもレストランの人たちとも顔なじみ。「また来たのか」と笑顔で迎えてくれる。

 まず、ペシャワールに無事着いたことを我がHPに書き込んでおこうと、インターネットカフェーへ行った。
以前日本語が書き込めたインターネットカフェーは閉まっている。
そこで4,5件他のインターネットカフェーを尋ね回ったが、日本語が書き込める所はない。
仕方がないとホテルへ帰る途中、おじさんが不意に
「インターネットを探しているのか、俺のところは日本語が書けるよ」

「え!何でこのおじさん私がインターネット探しているの知っているのよ」

と気味悪かったが、これが村社会。誰かがこのおじさんに私のことを話し、このおじさんは私を迎えに来ていたのである。

昨年、ウズベキスタンからの荷物をアフガンの友人が陸路、ここペシャワールまで運び、それを日本に送ってくれたアブドラ。
お世話になったアブドラにお礼を言うのもこの旅の一つの目的だった。
お土産もどっさり持ってきたし・・・とさっそく彼の店を訪ねたら、閉まっている。
え!・・・どうしようかと思って、たたずんでいたら、隣のおじさんが
「アブドラは引っ越したよ」
「えー、メールで連絡しておいたのに」
すると違うおじさんがやってきて、
「アブドラはカブールに帰り、弟のワジルがアフガンマーケットに引っ越しているよ」と教えてくれた。
また違うおじさんがやってきて
「俺んちの店に来いよ。ワジルに電話してやるから」そのおじさん。あちこちで電話番号を聞きまわり、ワジルに電話をしてくれた。
ワジルはその15分後に私の目の前にやって来た。
つまりこのホテルの周りのおじさんたちは私を知っているのである。

翌日、ワジルのお店を訪ね。
お礼を言ったり、近況を話したり、彼のお兄さんはとてもアンティークへの選択眼がいいのでものも買った。

私とこの兄弟はお互いに信頼関係が出来ている。
送料を受け取る前、日本への荷物を発送してくれる人たちである。

 ワジルが家に食事を招待してくれた。
親戚同士で一つのビルを借り切っているのだといっていたが、15畳ぐらいの大きな部屋に通された。
カブールの様子やお兄さんのことなど話した後、
ワジルが「いいものはここにあるから見るかい?」と言うので
「もちろん、見たい」といった。彼は座っている絨毯をめくり始める。
何しているのかと思うと地下室への入り口があるのだ。
地下室は上の部屋と同じ大きさ。そしてそれぞれの家全てに地下室があるそうだ。

何が起きるかわからないからとのこと。この街はそんな町なのです。
そんな街で今回もたくさんの人にお世話になり、無事帰国しました。 
 おわり